先日祖母が亡くなりました。
小さい頃よく可愛がってもらっていただけにとても悲しい。
会社に連絡を入れて急いで帰省します。
仏壇に手を合わせるときは僕や家族の健康を願っていると教えてくれた祖母。
昔の戦時中の話なんかも教えてくれました。
田舎でしたが夜に敵の戦闘機が飛んできたりすると部屋のライトの周りを黒い布で覆って極力光が漏れないように、見つからないようにしていたんだとか。
長期休みの時に遊びに行った時はたくさんご飯を作ってくれたり、帰るときは父が運転する車が見えなくなるまで手を振ってくれていました。
しかし僕が高校生の頃からは認知症が少しずつ始まっていました。
今でも覚えています。
10年以上前、翌年受験を控えた高校2年生の時、親戚一同集まって温泉旅行に行きました。
その時祖母から言われた
「一番端っこに座ってるあの子、誰や?」
僕のことが誰か分かっていないようでした。
大学生の頃は実家から離れて地方の大学に通っていたため、母親やおばさん達は久しぶりに会うから一瞬分からなくなったかと笑っていました。
今思うとその頃から認知症が進んでいたんだと思います。
それから10年以上経ちましたが、徘徊して家が分からなくなり捜索願いを出したり、ご飯を食べたことを忘れて何度もご飯を食べてしまったり、自分の名前も忘れてしまったり、最終的には自分でご飯を食べることもできなくなってしまったり、、、
辛いことはすぐ忘れることはできるけど、幸せな思い出も思い出せなくなってしまってしまったんじゃないかと思います。
昔は銀行で働いたり、詩吟の先生をしたり、しっかり者の祖母だったと聞きました。
僕が2歳の頃、弟が生まれた時に一時的に祖父母の家で面倒を見てくれたそうです。
小さかったため記憶にはないですが、お箸の持ち方などもたたき込んでくれたとか。
損得勘定なしに自分のことを大切に想ってくれる人が減ってしまうのは悲しいなあ。。。
同時に自分のことを大切に想ってくれる人は何人いるだろうかと。
自分も大切な家族や今も繋がりのある友人を大切にしようと改めて思うのでした。
新幹線の中でブログを書いていると色んな思い出が蘇ってきて涙が溢れてきます。
社会で揉まれて感情を押し殺して働き続けてきた自分にも人の感情があると分かり良かったです。
普段なかなか会わない弟と合流してセレモニーホールに向かいます。